2人のストーリー
昨日はみんなで集ったのだけれど。
色々あまったので、もしかしたら今日も姉さんと集うかもだけれど。
頭が痛いのだけれど。
ミキさんのお好み焼きはうまい。
***
脈絡はない。
***
日記は、自分の一番デリケートな部分を晒す内容は、
こんなとこには書いてません。
ちゃんと、私にしか分からないように別に書いています。
少なからずここを見ている人に若干の心当たりはあったりするので。
その人に対して思うことだとか、前はブログで書いちゃったりしてたかもだけど。
今はしないように気をつけてます。
何かあるならケータイがあるし。
メール機能がちゃんとついてるわけだし。
電話だって出来るわけだし。
言いたいことなら直接言う方がいいかなって。
私も知り合いのブログやら何やらで、
向こうも私のことを知っている場合ならば
ちゃんとメールや電話をする仲ならば
直接私に向けて言われたことしか
「私へのメッセージ」としては受け取りません。
本当に言いたいことは、私はちゃんと言います。
その人だけに向けて。
そうしようと心がけています。
メールがあるし、電話がある。
日記は日記として扱います。
その人の気持ちをつづったものです。
その気持ちに難癖つけるなんて他人の私が偉そうに言えたことじゃない。
その人の気持ちは大事にしたい。
そして思うことがあったなら、その人に伝えたいかもしれない。
でもあくまでその人を尊重したい。
何のために私は意見するのか、ということを考えるの忘れないようにしたい。
私の気持ちをすっきりさせるためには言いたくない。
押しつけるためには言いたくない。
「この人はこう思ってるんだ」ってだいたい割り切る。
前は「私はこう思うよ」って半ば押しつける形で言ってしまったときもあった。
今思えば自分の意見に納得してほしかった気持ちが強かった。
相手のためを思っての言い方ってときどき忘れてしまいそう。
気持ちが合えば嬉しい。
違ったら残念。悲しい。分かり合えないのって寂しい。
できればもっと近くに気持ちを寄り添わせたい。
でも無理強いしたくない。しちゃいけない。
そういうところで相手に幻滅する自分に幻滅する。
違う部分があるのは当然。
理解出来ない部分があるのも当然。
それでもうまくいく部分だってあるはず。
そこを大事にして楽しく過ごしたい。
分かり合うことを妥協するってわけじゃなくて。
「理解できない」って分かることもきっと大事。
他人って自分とは違うし、しかもお互いに変化していくし、
きっと理解できるとこなんてほんの一部だけど
その一部にふれたときはすごく嬉しい。
「正しい」ものはどこにもなくて
色んな人が「正しいと思う」ものがあるだけで、それは全部少しずつ違う。
そこに常識やら社会やら絡んできて、左右されて、作られている。
でもきっとどこを探しても正解はない。
私にとってここは自分の気持ちを吐く場所で
言っちゃいけないこととかはもちろん考えなければいけないけど
基本的には自分の感想を述べる場所で
文体として呼びかけるようなものを使うときもあるけど
あくまで一人のトークショー的なもので
すべては自分一人で構成しているものです。
自分のためだけのものです。
私信とかはまた私信としてあったりしますが。
それはそれで表記しているわけですし。
見ている人に不快感を与えてはいけないけれど、
意図しないところで与えてしまっているときもあるかもしれない。
でもそれは故意ではありません。
私が思ったことで、もちろんほかの人はそうは思わないかもしれないけど。
すべての人が頷けるものなんて誰にも書けやしないでしょう。
日記はそういうものだろうって思ってます。
他人を喜ばせるために、それを第一目的として書いてるわけじゃない。
少なくとも私は。
一番は自分の考えを書き出して整理するため。
それを読んでおもしろがってくれる人がいれば喜ばしいけれど。
もちろん反感を覚える人だっているはず。
日記ってその人の気持ちだって思ってます。
ないがしろにしたくない。
大切に扱いたい。
そしてそれを読む人の気持ちも。
「私はこう思う」って書いていく。
でもそれは何かを否定するためのものじゃない。
何かを肯定するためのものにしたい。
私は日記は気持ちをつづるものだって思う。
そこには自分とは違う感じ方や考え方がある。
反感を覚えるときもあるかもしれない。
でもそれは書いている本人がそう思っているという事実として受け取る。
ああ、この人はこう思うのか。
私もそう思う。私はこう思う。
そうして相手に伝えたいことがあるならちゃんと伝わるように
中途半端にならないように努力する。
分かり合えるところが増えたら嬉しい。
でもどうしても分からない理解できないときもある。
そのときは悲しい寂しい残念だと思う。
苛立つときもきっとある。
それは日記だけのことでないかもしれない。
こういうとこ好きだ。こういうとこ嫌いだ。
私はこういうのが好きなんだけど。こう思うんだけど。
どう?
あなたもそう思うんだ。ね、いいでしょ!よかった嬉しい。
あなたはそう思わないのか。そっか、残念だ。
そういうやりとりを重ねて繰り返していく。
積極的に求めるのは「いいね」って言える共感でありたい。
「いやだ」っていう共感を求めるよりは。
だってもしかしたらそれは誰かを傷つけるかもしれない。
私は「好き」の部分を探す努力の方が素敵だと思う。
ただ厭だと何かを叫んだり嘆いたりするより。
それが誰かに対しての人に対しての気持ちならなおさら。
「こういうの厭だよね」っていうより
「こういうの素敵だよね」って言えるような
明るい方を見ることを忘れたくないって思う。
***
自分について暗い内容だらだら書くこともままありますが
それだって必要なことだって思います。
落ち込んでちゃんとはい上がってくるつもりでいます。
落ち込むことは私にとって大事なことです。
私は自分を好きでいたい。
他人も好きになりたい。
両方は難しいけど、でも嫌いになるより好きになる努力をしたい。
せめて、好きになれないときも、嫌いになりたくない。
割り切って生きるだけにとどめたい。
そういう人になりたい。
嫌いだという気持ちですごく精神が摩耗する。
嫌うことに積極的にはなりたくない。
***
積極的になるときや場合を見誤りたくない。
色々あまったので、もしかしたら今日も姉さんと集うかもだけれど。
頭が痛いのだけれど。
ミキさんのお好み焼きはうまい。
***
脈絡はない。
***
日記は、自分の一番デリケートな部分を晒す内容は、
こんなとこには書いてません。
ちゃんと、私にしか分からないように別に書いています。
少なからずここを見ている人に若干の心当たりはあったりするので。
その人に対して思うことだとか、前はブログで書いちゃったりしてたかもだけど。
今はしないように気をつけてます。
何かあるならケータイがあるし。
メール機能がちゃんとついてるわけだし。
電話だって出来るわけだし。
言いたいことなら直接言う方がいいかなって。
私も知り合いのブログやら何やらで、
向こうも私のことを知っている場合ならば
ちゃんとメールや電話をする仲ならば
直接私に向けて言われたことしか
「私へのメッセージ」としては受け取りません。
本当に言いたいことは、私はちゃんと言います。
その人だけに向けて。
そうしようと心がけています。
メールがあるし、電話がある。
日記は日記として扱います。
その人の気持ちをつづったものです。
その気持ちに難癖つけるなんて他人の私が偉そうに言えたことじゃない。
その人の気持ちは大事にしたい。
そして思うことがあったなら、その人に伝えたいかもしれない。
でもあくまでその人を尊重したい。
何のために私は意見するのか、ということを考えるの忘れないようにしたい。
私の気持ちをすっきりさせるためには言いたくない。
押しつけるためには言いたくない。
「この人はこう思ってるんだ」ってだいたい割り切る。
前は「私はこう思うよ」って半ば押しつける形で言ってしまったときもあった。
今思えば自分の意見に納得してほしかった気持ちが強かった。
相手のためを思っての言い方ってときどき忘れてしまいそう。
気持ちが合えば嬉しい。
違ったら残念。悲しい。分かり合えないのって寂しい。
できればもっと近くに気持ちを寄り添わせたい。
でも無理強いしたくない。しちゃいけない。
そういうところで相手に幻滅する自分に幻滅する。
違う部分があるのは当然。
理解出来ない部分があるのも当然。
それでもうまくいく部分だってあるはず。
そこを大事にして楽しく過ごしたい。
分かり合うことを妥協するってわけじゃなくて。
「理解できない」って分かることもきっと大事。
他人って自分とは違うし、しかもお互いに変化していくし、
きっと理解できるとこなんてほんの一部だけど
その一部にふれたときはすごく嬉しい。
「正しい」ものはどこにもなくて
色んな人が「正しいと思う」ものがあるだけで、それは全部少しずつ違う。
そこに常識やら社会やら絡んできて、左右されて、作られている。
でもきっとどこを探しても正解はない。
私にとってここは自分の気持ちを吐く場所で
言っちゃいけないこととかはもちろん考えなければいけないけど
基本的には自分の感想を述べる場所で
文体として呼びかけるようなものを使うときもあるけど
あくまで一人のトークショー的なもので
すべては自分一人で構成しているものです。
自分のためだけのものです。
私信とかはまた私信としてあったりしますが。
それはそれで表記しているわけですし。
見ている人に不快感を与えてはいけないけれど、
意図しないところで与えてしまっているときもあるかもしれない。
でもそれは故意ではありません。
私が思ったことで、もちろんほかの人はそうは思わないかもしれないけど。
すべての人が頷けるものなんて誰にも書けやしないでしょう。
日記はそういうものだろうって思ってます。
他人を喜ばせるために、それを第一目的として書いてるわけじゃない。
少なくとも私は。
一番は自分の考えを書き出して整理するため。
それを読んでおもしろがってくれる人がいれば喜ばしいけれど。
もちろん反感を覚える人だっているはず。
日記ってその人の気持ちだって思ってます。
ないがしろにしたくない。
大切に扱いたい。
そしてそれを読む人の気持ちも。
「私はこう思う」って書いていく。
でもそれは何かを否定するためのものじゃない。
何かを肯定するためのものにしたい。
私は日記は気持ちをつづるものだって思う。
そこには自分とは違う感じ方や考え方がある。
反感を覚えるときもあるかもしれない。
でもそれは書いている本人がそう思っているという事実として受け取る。
ああ、この人はこう思うのか。
私もそう思う。私はこう思う。
そうして相手に伝えたいことがあるならちゃんと伝わるように
中途半端にならないように努力する。
分かり合えるところが増えたら嬉しい。
でもどうしても分からない理解できないときもある。
そのときは悲しい寂しい残念だと思う。
苛立つときもきっとある。
それは日記だけのことでないかもしれない。
こういうとこ好きだ。こういうとこ嫌いだ。
私はこういうのが好きなんだけど。こう思うんだけど。
どう?
あなたもそう思うんだ。ね、いいでしょ!よかった嬉しい。
あなたはそう思わないのか。そっか、残念だ。
そういうやりとりを重ねて繰り返していく。
積極的に求めるのは「いいね」って言える共感でありたい。
「いやだ」っていう共感を求めるよりは。
だってもしかしたらそれは誰かを傷つけるかもしれない。
私は「好き」の部分を探す努力の方が素敵だと思う。
ただ厭だと何かを叫んだり嘆いたりするより。
それが誰かに対しての人に対しての気持ちならなおさら。
「こういうの厭だよね」っていうより
「こういうの素敵だよね」って言えるような
明るい方を見ることを忘れたくないって思う。
***
自分について暗い内容だらだら書くこともままありますが
それだって必要なことだって思います。
落ち込んでちゃんとはい上がってくるつもりでいます。
落ち込むことは私にとって大事なことです。
私は自分を好きでいたい。
他人も好きになりたい。
両方は難しいけど、でも嫌いになるより好きになる努力をしたい。
せめて、好きになれないときも、嫌いになりたくない。
割り切って生きるだけにとどめたい。
そういう人になりたい。
嫌いだという気持ちですごく精神が摩耗する。
嫌うことに積極的にはなりたくない。
***
積極的になるときや場合を見誤りたくない。
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